長田弘様




わたしが貴方の詩に出会ったのは中学生のときでした。
夏休みの自由課題、どうやって思いついたのか今では思い出せませんが、当時の自分は好きな詩を集めて、自分だけのお気に入り詩集を作ろうと思ったのです。
小さなスケッチブックに、本から写し取った詩とそれに合ったイラストを描いて、詩の絵本のようなものを。
美術部に在籍していたこともあるのに、絵はまったく幼稚なものしか描けず(それは今でも変わりませんが)、かなり残念な結果になりました。
けれどそのために様々な詩集を手にしていたとき、長田さんの本と出会ったのです。

一言で言えばガツンとやられた感じでした。
シンプルでわかりやすい言葉たち、けれどそれぞれの言葉がたしかに足を地に付けて立っていて、まっすぐに訴えてくる。
そこに描写されていたのは沈黙や孤独の豊かさでした。


わたしは長田さんの詩で「そのこと」を学びました。
それはシンプルなゆえにとても力強く、わたしの胸を突きました。
ただそれだけでいいのだということ。
そんなことを当時まだ誰にも教えられたことなどなかったのです。

小さい頃から詩やお話を書くのが好きでしたが、長田さんの詩に出会い、そこで言葉の力というのをまざまざと見せつけられました。
あの言葉たちがたしかに今も自分の中核にある。




世の中の様々な雑音に胸がざわつくとき、不安になるとき、耳をふさぎたくなるとき、帰ってくるのは貴方の言葉でした。
そこにはたしかに沈黙があり、かーんと内に広がる静けさがありました。
そこはわたしの中庭でした。
癒しであり源でありました。
空を見上げ、雲の様子を眺め、風のそよぎを感じ、小さな噴水から水の音がする。
ただそれを感じ、そこにいる。
孤独でいることのあたたかな豊穣さ、強さ。
世界のすべてが本であり、もっと本を読もうという長田さん。
その言葉を取るなら、その中庭は同時に図書館のようでもありました。


長田さんのお話するカルチャーセンターの講座にも何度も足を運びました。
貴方が発する言葉のエキスのようなものを自分にも取り込めないかと思ってのことでした。
どうやってあの言葉たちが生み出されたのか、どんな思考を持って生きていらっしゃるのか、そういったものを感じとりたいと思いました。
初めての講座のときのドキドキ感は今でもすぐに思い出せます。


貴方がこんなに早く逝ってしまうとは思ってもいませんでした。
このせわしないご時世で求められるのは、長田さんのようにまっすぐに届く静かな言葉なのだと思います。
貴方がいなくなってしまって「そのこと」を現在進行形で発信してくれる人はどのくらいいるのだろう。
心にぽっかりと穴が空いてしまいました。


貴方はわたしにとって言葉の父だったのかもしれません。
いつかありがとうとお伝えしたかった。
中学生の自分が享受した「そのこと」は今も色褪せずわたしの中にあります。

さようなら長田弘さん。
長いようで短い間でしたが、ありがとうございました。
いつかお会いしたかった。
その気持ちをずっと胸に抱いてわたしは生きていきます。
だからいつかそちらに逝ったときに、ご挨拶をさせてください。

貴方の言葉がわたしを育んでくれました。
どうもありがとうございましたと。



千草湊





---------------------------

長い手紙を書きました。(※たくさん割愛しましてすみません。)
やはりわたしは「伝えたい」人なのだと思います。
だからこそ伝えられなかった悔しさは大きい。