ブログを更新しないでずいぶん経ってしまいました。
個人的なことで恐縮ですが、先日祖母が亡くなってここしばらくは不思議な感覚で日々を過ごしていました。
いのちの火が消えることや
今までそこにあったたましいの行き場所、
からだが空っぽの器になってそこにあることを
考えざるをえない状況にいて
それはつまり
自分のいのちの火や
たましいのつよさ、
器としてのからだの存在
そういった普段意識していなかったものに目を向けることでもありました。

生きているということは受け継いでいることだと思いました。
祖母の血はたしかにわたしの中に流れている
この血を生かすことで
祖母や祖父やそのもっとずっと前の先祖はいま生きているし
同時にわたしも彼らによって生かされているんだと。

このからだはわたし一人のものではないんだと改めて思いました。
わたし一人のものでないからだ、
わたし一人のものでないいのち。
そこにわたしというたましいが入っている不思議。

わたしはわたしのたましいを磨き
いのちの火をもっとキラキラさせようと、
そのためのからだをもっとよりよいものにさせなきゃと
そんなことを考えました。

からだはひとつだけど
受け継いでいるものはひとつじゃない
その火をたやさず
すこやかにきちんと時を生きよう
そう思っての日常がまたはじまります。

しあわせないのち
元気なたましいと
じゅうぶんなからだに
ありがとうをたくさんこめて。